自社商品物語
大手メーカーの海外進出の煽りを受け、下請産業の金型メーカーは大小問わず瀕死の状態の約5年前の2009年。
テレビでは東京大田区の町工場、東大阪の町工場の苦悩が毎日のように放映されていた。
弊社の岩谷も日々、仕事量の激減,型費の暴落で悩んでいた。
「もともと金型はお客様の依頼で製作していく。
製作 段階で自社の物ではない。金型屋に残るのは技術と膨大な機械のリースだけ。
ウチにしか出来ない何かを持たんと、このままでは潰れてしまう・・・・。」

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そんな折に デザイン3D CAD(フリーフォーム)を知る。

「なんや、これ?まるでデータを彫刻刀で削ったりしてるみたいや。
寸法を追えない3Dやテクスチャ―を3Dで作れるんか?」
しかし本業の金型屋はあくまでも寸法を追う稼業。
寸法を追わない、ましてデザイン感覚なんて毛頭皆無。
たまたま その頃、図面管理のアルバイトに来ていた芸工生に声をかけてみた。
「むっちゃん、こんなCADあるんやけど一緒にデモ 聞いてみない?」
興味深々の芸工生。もちろん二つ返事で返した。

それからというのは、岩谷の導入の決断力の速さ、実行力の速さ。
いや、怖いもの知らずには私も驚いた。
まだ学生である彼女に社運を賭けるといっても過言ではないような高額なCADシステムを与えるとは…
また睦もこの頃は事の重大さに気付いていなかった。
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さてCADが導入されてから色んなテクスチャーの試作やテスト加工を施した。
英語ばかりでマニュアルが無い。サポートに電話しながら睦は毎日悩み続ける日々。
その頃に肩に圧し掛かる重責を初めて知る事になる。
コマンドの使い方はサポートが対応して頂けるが方法 や工法は自身で編み出すしかない。
時には重責に押しつぶされて何度も何度も家に帰って泣く日々。
家では上司である私が居てる。
私さえ指導してやる事も助言を与える事すら出来ない新たな試み。
泣き疲れ眠る娘を何度見たことだろう。
娘の背中を撫でてやるしか出来ない非力さを悔やんだ。

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しかし、嫌な事ばかりでは無かった。
睦が作るデータを切削するのはNC加工の超ベテラン岩谷卓児常務だ。

常務は常に金型の切削について素人の睦に分かりやすく説いた。
その頃の睦にとっての社内でたった一人の理解者だ。
常務の岩谷も膨大なデータ量と超微細加工に、刃物の摩耗、刃物の選別、加工方法と常に細心の注意を払った。
それらの加工をDFD(デジタル、フリー、デザイン)と名付けた。
そしてDFD加工を施し色々な試作品が完成した。
ソフトボールを本物同様に金属に切削。
玉子を縦半分に切った物に様々なテクスチャーを施した樹脂成型品。
本当の木目(木のこぶ)を加工した木工品等。
DFD加工を施した試作品を持って岩谷と私は営業に出るようになる。
市や府が開催する技術マッチング。
展示会。
既存の得意先様。
銀行主催のイベント….等
しかしメーカーさんに言われる言葉は
「今、その加工 何に使われてます?」
そればかり。
帰りの車中「やっぱり実績がないとダメなんや..」 ポツリと岩谷がつぶやく。
その後2010年3月・・・・そんな営業の日々が続く中、
「実績が無かったら俺等が実績作ったらええねん!!」
と岩谷が叫んだ。
それから社長の岩谷、専務、常務、私、睦と商品会議 を開いた。

「何作る?どんなんがええ?」
それぞれに意見を出した。メガネケース、タバコケース、名刺ケース……等
多岐に及んだが、誰しもどれがいいのか決めかねていた。
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家に帰ると睦の双子の姉の居る前で
「ホンマに何がええんやろ~??」と話していた。
その頃ツケマ愛好者の姉の姿を見て、睦が言った
「そういえばつけまつげケースってええのん無いで~。チープなものばっかりや。」
そう言えばそうやん!!
家でもあちらこちらにマツゲ を置いてるのに普段から私も主人も怒ってた!!
愛犬がマツゲを咥えてる事もあったよなあ…?

次の日、さっそく社内のブランド会議にて提案してみた。
「まつげケース?そんなん要るんか?」
男性の社長、専務、常務は難色を示したが、、、そこは行動派の岩谷。
早速ドラッグストアーの化粧品コーナーをこっそり視察。
「ホンマにマツゲケースってロクなん無いなぁ。あんまり売ってないし・・・。」
「やろ?無いやろ?」と私と睦。
「ほな、マツゲケース作ろか?」と
怖い物知らずの岩谷の一言。
それからというものは、競合のマツゲケースの代用品、まつげケース、つけまつげを色んな店舗で買い漁った。
何しろ全く自社製品を作った事の無い弊社。
進め方がわからない。
そこで岩谷が中小企業基盤整備機構の専門家派遣事業を活用する事に決めた。
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たまたまその派遣された専 門家も試作屋さんであり金型屋の事情、情勢をよく周知されておられた。
時には岩谷と私の中で意見の食い違いで言い争いになる日もあったが専門家の冷静な御対応で
弊社初の自社製品は産声を上げた。
2010年秋、弊社の自社商品第一号
「Mary Angela」が販売開始となりました。


しかし、初めは販路の無い弊社。
どう売れば、どこへ行けば売って頂けるのかさえ分からない。
常務の岩谷と私とで営業に出る。
美容院、または社交ダンスの教室等々…..
一件、一件、訪ねては頭を下げる。
「どうせ製造メーカーが暇にまかせて作った商品とちがいますのん?」
「継続も出来んと、直ぐに辞めるん違う?」
・・・あらゆる言葉をその頃バイヤー様より頂いた。
悔しかった。
辛かったけど、その悔しさをバネに
「絶対に売って在庫0にしたるねん!!」との思いで頑張った。
今、思い返せばそのキツイお言葉を頂いた事により誰一人として諦めない精神が芽生えたのかもしれない。
そうして、やっと東京の卸問屋さんに辿りつき今に至る。
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その半年後の春の事…。
2011年インテックス大阪での中小企業総合展で、名古屋の加飾 メーカさんと、ご縁がつながり
「御社の凸凹のあるケースに忠実に印刷出来るのはウチだけです。 もっと良くなりますよ~」
とのご提案をいただきました。
私は「今でも十分綺麗やのに、なんだか胡散臭い人やわ」
と、その時は感じていました。
その後、礼状だけ出していたのですが2012年夏ごろ、その方からお電話を頂きました。
インパクトが強かったのではっきりと記憶しました。
その方のお名前は○○さん。
「御社のケースに試作でウチが色付けさせて頂けませんか?」とのこと。
早速、製品をお送りし、こちらから色付けデータもお送りした数日後、届いた試作品の仕上がりに目を疑った!
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はじめて見る感覚。
とても美しくて皆に自慢して見せて歩きたくなるような出来栄え。
魅力にとりつかれた弊社代表の岩谷はなんとしてもこの技術のコラボ 品を世に出したいという想いに駆られ、ウズウズする毎日が続いた。
技術と技術の融合。
他にはまだありません。
「少しでも多くの方々に知ってもらいたい」
そこで、老若男女に使用して頂ける製品として、当時スマートフォン業界では ユーザー数№1のiPhoneケースを製作する運びになったのです。
2013年よりメーカー様に金型のリスクを負わない製造方法でOEMのお話しも多数頂戴する事が出来るようになりました。
ますます日清精工、全社員がお客様に少しでも喜んで頂けるよう日々、精進前進して参ります!!
文:右田 和代でした。

2013年11月に弊社は現在の社屋に移転して10年を迎えました。
思えば2006年に父である先代社長より会社を任され当時35歳であった私は右も左もわからず
ただ日々の仕事に忙殺されておりました。
業績も悪く続けていく自信を失いかけてた頃
MILCA(ミルカ)事業部を立ち上げました。
まさに一筋の光だったのです。
最初は結果が出ず、焦り、苦しみましたが ようやく2013年には良い結果が出ました。
ここまで来るのに長く苦しい道のりでしたが社員が支えてくれたおかげで
何とか乗り切ってこれました。
そして、これからの10年は成長と飛躍の10年になると確信しております。

株式会社 日清精工 代表取締役 岩谷 清秀

































